優生思想から色々考えさせられる

相模原の障がい者施設での事件について、今日被告に死刑執行が決まりましたが、改めて色んな考えの人がいるんだと思いました。

マイノリティーだとしても皆同じ命がある人間。生きる権利は奪われてはいけない。

では、中絶ってどうなのか。まだ心が出来上がっていない命とたくさんの感情と責任がある母親の権利。どっちを尊重すべきか問うことも良くないのかな?誰かが犠牲になる世界ってもう懲り懲り。そして、こういった現実世界で生きることってやりがいがあるけどタフで大変なこと。だから子供を産むことは生まれた子が険しい道を歩まなければならない契約をすることでもあるんじゃないかな…?まぁ、極論すぎると思うけど笑

いつの日だかのニュースの記事で、環境問題が解決されない限り子供は産まないと主張するヨーロッパ人がいた。一理あると思う。これからの時代、持続可能がキーワードだもん。でも、知能を持ってしまうとやっぱり色々ややこしいよなぁ。色んな思想の人がいて、まとまらないし、全員が全員正しい判断を行う人ではない。他者の命を奪うことはかなりの冒涜だし、社会の秩序を乱す者は悪。

でも、悪いって何だろう…死刑になるべきなんだけれど、被告は価値観に障がいが起きていた人なんだと思う。もし優生思想を主張するならば、被告本人が優生から外れてない?だから優生思想を語る前にあんたが優生なのかどうかロジカルに考えて主張すべき。しかし、優生思想を主張していること自体、優生の対象外になるんだと思う。

1番正しい見解は誰もが命を全うできる社会じゃないかな?生まれてきたことはどんな人でもその運命は変えられないけど、生きてるからにはこの物質社会で何かを学び、このゲームみたいなリアリティを楽しむこと。そう、生まれてきた運命は変えられないのよ…今見ている世界は学びの場であるからどれだけ人に幸せを与えても実際に何か減るわけじゃないと思うんだ。
無限の富を持ってるから。というか、物質世界に入り込みすぎるとそれに食われちゃって本末転倒してしまう。あくまでここは学びのゲーム。私達は低姿勢で尊敬の念を持ちながら学ばなきゃいけない。
真実はわからないけど、人間って何だろう…